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札幌地方裁判所 昭和45年(ワ)1151号 判決 1979年5月10日

原告 白井新平 ほか一名

被告 北海道

代理人 梅津和宏 大谷勝美 ほか六名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(請求の趣旨)

一  被告は、原告ら各自に対し、それぞれ金六五〇万円及びこれに対する昭和四五年九月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行宣言。

(請求の趣旨に対する答弁)

一  主文と同旨の判決。

二  仮執行宣言がされる場合、担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二当事者の主張

(請求原因)

一  原告らの地位

原告近藤は、昭和四五年六月一六日ころ、有限会社近藤牧場より同会社所有の馬一頭(名号ミスワンスター、以下本件馬という)を譲り受け、更に、同月二〇日、これを原告白井に譲り渡し、その際、原告白井との間で、本件馬から以後生れる仔馬の利益はこれを折半して取得するとの約定をした。

二  事件の経緯

1 被告知事は、昭和四五年六月八日、浦河郡浦河町字西舎所在の近藤牧場において、北海道日高家畜保健衛生所による馬伝染性貧血(以下伝貧という)予防のための検査を実施し、その結果本件馬について伝貧罹患の所見を認め、翌九日の確認検査により伝貧の患畜と診断した。

2 北海道日高家畜保健衛生所長は、同月九日、原告近藤に対して本件馬を伝貧の患畜と決定した旨通知し、同日、被告知事名をもつて本件馬を家畜伝染病予防法(以下本法という)一七条一項により同月二二日までに殺処分すべき旨を命じ、同命令(以下本件命令という)は同月一三日原告近藤に到達した。

3 その後、本件命令が履行されなかつたため、被告知事は、原告近藤に対し、同年七月一二日到達の戒告書をもつて本件命令の履行期限を同月一四日と定めて戒告し、更に、同月一五日、被告農務部畜産課家畜衛生係長加藤英彦を執行責任者として、浦河町営食肉センターにおいて、本件命令に係る代執行命令名下に本件馬の殺処分を執行した。

三  本件馬の殺処分命令の違法性

本件命令は、次の各事由により違法である。

1 伝貧診断の不合理性・不当性

被告知事は、本件馬につき、本法施行規則別表第一(以下別表第一という)に規定された「判定」に従い、白血球しゆう集塗抹標本における担鉄細胞の検出のみを根拠として、伝貧の患畜であると診断した。しかしながら、担鉄細胞の検出は、伝貧の一徴候をとらえたのみで篩い分けテストの意味を持つに過ぎず、更に種々の検査を尽して総合的に判断することにより初めて伝貧の診断が可能となるのであつて、別表第一に規定された伝貧の診断方法は不合理なものである。また、本件馬の診断自体も、技術不足の家畜防疫員によつてなされたもので、別表第一の診断方法をそのとおり履行しておらず、その信憑性は甚だ疑わしい。従つて、右のような不合理かつ不相当な診断に基づいてなされた本件命令は違法である。

2 憲法七三条六号違反

本法三一条一項は伝貧の検査の方法を省令に委任し、これを受けて同法施行規則は別表第一に伝貧の「検査の方法」として「術式」「要領」「判定」を規定しており、右の「判定」に基づいて本件馬は伝貧の患畜とされ本件命令を受けたものであるが、別表第一の伝貧についての「判定」の定めは「検査の方法」の枠を超えているもので本法の委任の範囲外にある別個独立の命令であり、憲法七三条六号に違反する。

3 本法一四条一項違反

本法一四条一項は、患畜又は疑似患畜の所有者に対し当該家畜の隔離を義務づけているが、これを本法一七条一項の伝貧患畜の殺処分との関係でみると、担鉄細胞の検出により伝貧と診断された家畜が真に伝貧であるか否かを検査するための観察期間として隔離の期間を置く趣旨であると解されるところ、本件馬については伝貧の判定後直ちに殺処分命令が出され、右の観察期間としての隔離処分がとられておらず、従つて本件命令は本法一四条一項に違反する。

4 殺処分の必要性の欠如

本件命令が発せられた当時、一般に伝貧のまん延する危険性は極めて稀少であつたうえ、本件馬は健康で右の危険性は皆無であつたのだから、本件馬の殺処分を命ずる必要性はなかつた。それにもかかわらず、北海道日高家畜保健衛生所長は、本件馬を伝貧の患畜と決定するや右の必要性をなんら考慮することなく機械的に本件命令を発したものであり、本件命令は本法一七条一項に定められた「まん延を防止するため必要があるとき」の要件を欠き違法である。

5 本法六条二項違反

本件馬の検査を行なうにあたり、事前になされるべき本法六条二項所定の公示につき、その原案は北海道事務決裁規定により支庁長が作成すべきものであるのにもかかわらず、北海道日高家畜保健衛生所長がこれを作成したもので、適法な公示がないまま本件馬の検査が行なわれたこととなり、従つて本件命令は違法である。

6 憲法二九条三項、一四条一項違反

本件馬は時価七〇〇万ないし八〇〇万円の軽種馬であつたのに、本法五八条一項二号(昭和四六年法律一〇三号による改正前のもの。以下同項を引用する場合は同様である。)により、殺処分を命ぜられた伝貧の患畜の所有者に対して支給される手当金は、最高額でも六万四、〇〇〇円という極めて僅少なものであつた。同規定は、手当金の額につき軽種馬を一般の馬と同じに扱い、軽種馬の価値を全く度外視するもので、憲法二九条三項及び一四条一項に違反するものであり、かかる違憲の規定による補償を予定してなされた本件命令は違法である。

7 本法六一条違反

家畜保健衛生所長が都道府県知事からの委任でなしうる事項は本法六一条に定められた範囲内に限られ、本法一七条一項の事務はその範囲外であるところ、本件命令は北海道日高家畜保健衛生所長の専決において被告知事名をもつてなされたものであり、専決に名を籍りて本法一七条一項の事務が委任されたというべきで、本法六一条の脱法行為として違法である。

四  代執行の違法性

本件馬の殺処分の代執行(以下本件執行という)は、次の各事由により違法である。

1 憲法三五条違反

本件執行は、被告農務部畜産課家畜衛生係長加藤英彦ほか数名の吏員が、警察官二〇名の援助協力のもとに、近藤牧場の有棘鉄線を損壊し無断で敷地内に侵入したうえでなしたもので、本来の義務の履行という代執行の範囲を超えて新たな不利益を義務者に課した点において直接強制にほかならず、本件執行においてそのような直接強制をなす法律上の根拠は存しないから、本件執行は憲法三五条に違反するものである。

2 憲法三二条違反

原告らは、昭和四五年七月一四日、被告農務部長に対して、裁判所に執行停止の申立をするからその結論が出るまで本件執行を留保して欲しいと申し入れ、翌一五日、札幌地方裁判所に本件命令取消の訴を提起し、同時に執行停止の申立をしたうえ、被告農務部畜産課長と面会して右訴の提起及び執行停止の申立をした旨を伝えたのに、被告知事はこれを無視して本件執行に及んだもので、その結果原告らの裁判を受ける権利を奪い、憲法三二条に違反したものである。

3 行政代執行法三条二項違反

行政代執行法三条二項により代執行令書による詳細な通知が代執行の要件として規定されていることの趣旨は、戒告の履行期限と代執行との間に相当な期間をおいて手続を慎重にし、かつ、義務者に任意の義務の履行を督促することにあるところ、本件執行は戒告の履行期限の翌日に直ちになされたもので、右規定に反して違法である。

4 殺処分の必要性の再判断の欠如

被告知事は、本件命令による殺処分の期限の経過後である昭和四五年六月二四日、原告白井から本件馬の殺処分猶予の願出書を受理し、同年七月八日まで本件馬を近藤牧場に置かせていたものである。これは本件馬を殺す緊急の必要性がないことを被告知事自身認めていたことにほかならず、従つて被告知事はその後改めて本件馬の殺処分の必要性について判断し、殺処分の期限を新たに定めるべきであつた。それにもかかわらず、被告知事がこれを怠たり本件執行に及んだことは違法である。

5 戒告及び代執行の相手方の誤り

本件馬の所有権及び管理権は、昭和四五年六月二〇日以降一切原告白井に帰しており、従つて本件命令の効力が及ぶ者は原告白井のみとなつたのであるから、戒告及び代執行の相手方は当然原告白井であるべきところ、被告知事はいずれも原告近藤を相手としており、従つて本件執行は法適用の対象を誤つた違法なものである。

五  損害

原告らは被告知事の違法な本件命令及び本件執行により次の損害をこうむつた。

1 得べかりし利益

本件馬は、本件執行がなければ、以降二年ごとに仔馬を一頭ずつ合計四頭を出産する能力を有し、仔馬一頭の売却価格は最低五〇〇万円で売却までの二年間に本件馬及び仔馬一頭にかかる費用は一五〇万円であり、二年間の純収益は差引き三五〇万円となるところ、右仔馬四頭分に係る逸失利益は年五分の中間利息を控除して計一、一〇〇万円となる。しかして、原告らは前記一のとおり仔馬の利益を折半すると約定していたものであるから、原告らの逸失利益は各自五五〇万円となる。

2 慰藉料

原告らは本件馬の殺処分により精神的苦痛をこうむつた。

その慰藉料は各自一〇〇万円が相当である。

六  賠償責任の根拠

伝染病に罹患した家畜の殺処分を命ずる事務は、国の機関委任事務として都道府県知事が執行するものであり、被告知事が本件命令及び本件執行を行なつたことは国の公権力の行使にあたるが、被告は、国家賠償法三条一項により、本件命令及び本件執行の事務にあたつた被告知事及びその補助機関の俸給、給与等を負担する者として、本件損害を賠償する責任を負う。

七  結論

よつて、原告らは、被告に対し、それぞれ前記各逸失利益及び慰藉料の合計損害金六五〇万円及びこれに対する不法行為後である昭和四五年九月五日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する認否)

一  請求原因第一項のうち、本件馬がもと有限会社近藤牧場の所有であつた事実は認めるが、その余は知らない。

二  同第二項の各事実はすべて認める。

三1  同第三項1の事実は否認する。別表第一所定の伝貧の診断方法は科学的な合理性を十分有するものであり、かつ、被告知事は右診断方法に従つて本件馬を伝貧と診断したもので、同診断の過程にはなんらの瑕疵もなく、従つて同診断は相当なものである。

2  同項2は争う。別表第一の伝貧の「判定」は、本法三一条一項により委任された検査の方法に当然含まれると解すべきであり、原告ら主張のような違憲はない。

3  同項3は争う。本法一四条一項は、家畜伝染病の病原体の散逸を防止するため患畜又は疑似患畜と他の家畜とが接触することのないような措置を講ずることを所有者に対し義務づけているものであり、原告主張のような観察期間としての意味はない。

4  同項4の事実は否認する。伝貧は吸血昆虫の媒介等によつて感染するウイルス性伝染病で、現在に至るもその治療及び予防についての決め手がなく、まん延防止のためには伝貧に罹患した家畜を殺処分する以外に有効な方法がない。本件馬についても殺処分の必要があつたものである。

5  同項5は争う。

6  同項6は争う。

7  同項7のうち、本法一七条一項の事務が本法六一条の委任事項に含まれていないこと、及び本件命令が北海道日高家畜保健衛生所長の専決においてなされたものであることは認めるが、その余は争う。

四1  請求原因第四項1は争う。加藤英彦らは本件馬を殺処分の場所であると畜場に引致するため近藤牧場に立入つたものである。その際、原告らの実力的妨害にあつたためこれを排除したが、代執行の執行者が、その実施に際して抵抗を排除するのに必要な実力を用いることは、代執行に随伴する機能として当然に認められており、また、そのゆえに代執行が直接強制に変ずるものでもない。

2  同項2は争う。

3  同項3は争う。行政代執行法三条二項は代執行の手続を明確にするための規定であつて、義務者に義務履行を促す趣旨のものではない。

4  同項4のうち、被告知事において昭和四五年六月二四日原告白井から殺処分猶予の願出書を受理したこと及び同年七月八日まで本件馬が近藤牧場に置かれていたことは認めるが、その余は争う。

5  同項5は争う。

五1  請求原因第五項1の事実は否認する。

2  同項2は争う。

六  請求原因第六項は争う。

第三証拠 <略>

理由

一  請求原因第一項(原告らの地位)について

本件馬がもと有限会社近藤牧場の所有であつたことは当事者間に争いがない。<証拠略>によると、本件命令のあつた昭和四五年六月九日の後に、本件馬の所有権が同会社から原告近藤に一旦移転され、更に同月二〇日、右所有権が原告ら主張の約定のもとに原告白井に移転されたことが認められる。

二  請求原因第二項(事件の経緯)について

同項の各事実はすべて当事者間に争いがない。

三  請求原因第三項(本件命令の違法性)について

1  同項1(伝貧診断の不合理性・不当性)について

(一)  同項1における原告らの主張につき、別表第一に規定された伝貧の診断方法の合理性と本件馬の診断そのものの相当性とに分けて考察する。

(二)  まず前者について検討するに、別表第一によれば、「検査の方法」として「術式」「要領」「判定」の三つの欄が設けられ、「術式」欄においては、1体温検測及び栄養状態の一般検査、2粘膜及び結膜の状態並びに心音、脈博及び心臓衰弱の状態の細部検査、3疫学的検査、4担鉄細胞の検出、赤血球数の計算、肝臓組織の病変の特殊検査(ただし肝臓組織の病変の検査は必要と認める場合に行なえばよい)が規定され、「要領」欄においては、細部検査及び特殊検査の場合の具体的な実施要領が掲げられ、特にその末項に「細部検査及び特殊検査を行なう場合にはトリパノゾーマ病及びピロプラズマ病との類症鑑別に注意すること」と規定され、更に「判定」欄においては、1伝貧の患畜とする場合、2伝貧の疑似患畜とする場合、3前二者でないとする場合のそれぞれにつき該当事項が掲げられ、1については、一、白血球しゆう集塗抹標本において担鉄細胞が白血球一万個に対し一個以上の割合で認められるもの、二、肝臓穿刺で得た肝臓の組織片に病変の認められるもの等の五項目が列挙されてその一つに該当するものは伝貧の患畜とすると規定されている。右のように、「術式」欄において特殊検査のみならず一般検査、細部検査、疫学的検査の諸検査が掲げられ(これらの検査は選択的に行われるべきものでなく、併用されるべきものであることは規定自体から明らかである。)、また、「要領」欄においてトリパノゾーマ病及びピロプラズマ病との類症鑑別に注意すべき旨が規定されていることに鑑みると、別表第一は、「判定」欄1の各号のいずれかに該当する場合であつても、直ちにそのことから伝貧の患畜と診断すると定めたのではなく、「術式」欄の諸検査の結果を総合判断し、かつ、類症鑑別にも留意して伝貧の診断をすべきことを定めたものと解するのが相当である。原告らの主張は、別表第一の伝貧に関する規定を「判定」欄1の一に掲げられた担鉄細胞の検出があればそれだけで伝貧の患畜とする趣旨であると理解している点で、既にその前提において誤つているといわなければならない。

進んで、原告らが問題にしている伝貧の診断における担鉄細胞の検出による検査の方法の合理性について検討するに、<証拠略>によると、担鉄細胞は、馬が伝貧に罹患した場合に限らず、トリパノゾーマ病、ピロプラズマ病、血斑病、腺疫、馬新生仔黄疽症、えぞねぎ中毒に罹患した場合及び輸血を反覆した場合にも検出されること、従つて担鉄細胞の検出は伝貧の診断において篩い分けテストの意味を持つに過ぎず、これを診断の決め手とすることは不合理であるとの見解が存すること、以上の各事実が認められる。

しかしながら、他方、<証拠略>を総合すると、次の各事実が認められる。すなわち、伝貧はそれのみで確実にこれを診断できるという決定的な検査方法がないこと、担鉄細胞の出現は伝貧の主要な徴候の一つであり、これを確認することは技術的に容易であること、担鉄細胞が検出される他の場合についてみると、トリパノゾーマ病及びピロプラズマ病は日本では発生がなく、また右両病及び血斑病、馬新生仔黄疽症、腺疫、えぞねぎ中毒、反覆輸血の診断はいずれも困難でないため、伝貧との類症鑑別は十分可能であること、更に、他の伝貧の検査方法として(1)伝貧ウイルス自体の顕微鏡による確認、(2)接種試験、(3)抗体反応試験、(4)肝臓穿刺があげられるが、(1)の伝貧ウイルス自体を顕微鏡で確認しこれを写真撮影することは高度の技術と特別な施設を必要とするため野外の診断に応用しえない、(2)の接種試験は被検馬の他に少くとも二頭の健康馬を必要とするため経済的でない、(3)の抗体反応試験には補体結合反応、中和反応、ゲル内沈降反応の各試験があり、特にゲル内沈降反応試験は有用であると考えられるが、いずれも昭和四五年ころは研究中で野外の診断に応用できる段階ではなかつた、(4)の肝臓穿刺の方法は、被検馬を傷つけるばかりでなく、技術上のミスにより時にはこれを殺してしまう危険性があるというそれぞれ難点があること、従つて、本件当時の伝貧の診断方法としては、類症鑑別に意を用いつつ、臨床検査と合わせて、担鉄細胞の検出を含む血液検査を行なうことが最も有効かつ適切な方法であるとして獣医学上是認されていたこと、以上の各事実を認めることができる。そうすると、別表第一に則り、肝臓組織の検査を除く「術式」欄所定の諸検査を行ない、特殊検査の結果白血球一万個に対し担鉄細胞が一個以上の割合で検出された場合に、他の検査結果をも総合的に判断して伝貧の診断を行なうという方法は、本件当時においては十分合理的なものであつたということができ、原告らの主張のように担鉄細胞の検出による検査の方法を単なる篩い分けテストに過ぎないとしてその意義を軽視することは相当でないというべきである。

(三)  次に本件馬の診断自体の相当性について検討する。<証拠略>によると、原田了介獣医師は、昭和四五年六月二六日以降継続的に本件馬の治療、観察を行ない、同年七月一四日、本件馬の被毛光澤、体温、心音等が正常であること、血液検査の結果白血球一万個中一個以上の担鉄細胞の検出が認められないこと、本件馬の仔馬であるヒカルヨウコー号が本件馬と同一馬房で飼養されているにもかかわらず伝貧感染の疑いがないと判断したことを総合して、本件馬が伝貧でない旨の診断をした事実が認められる。

しかしながら、<証拠略>によれば、伝貧に罹患している馬であつても時期によつては担鉄細胞が検出されないことがあり、担鉄細胞が検出されないからといつて伝貧に罹患していないとはいえないことが認められ、また、<証拠略>によれば、本件馬の仔馬ヒカルヨウコー号が急性伝貧に罹患していた事実が認められるのであつて、前記原田獣医師の本件馬についての診断はその前提において既に支持し難い。更に、<証拠略>を総合すると、本件馬の検査は北海道日高家畜保健衛生所の技術吏員浜崎裕が責任者となつて行なつたこと、同人は獣医師免許を持ち伝貧の検査については少なからぬ経験を有していたこと、本件馬の検査は昭和四五年六月八日及び九日の二日間にわたつて行なわれ、二度にわたる担鉄細胞の検出検査を含め別表第一の「術式」に則つた諸検査が実施されたこと、その結果、二度とも白血球一万個に対し二個以上の割合の担鉄細胞が検出されたほか、結膜や鼻等の粘膜が帯黄褪色もしくは淡紅色を呈し、心音は運動前、運動後ともに一音分裂、運動後の二音はやや濁、脈性は軟弱である、との各所見を得、また、過去に近藤牧場で伝貧の患畜が一頭発生したこと、本件馬は昭和四一年に伝貧の疑似患畜となつたこと、同牧場の付近でも昭和四〇年以降時々伝貧の患畜が発生したこと、本件馬の繁殖状況が悪くまた過去に腎臓、肝臓が悪いと診断されたことがあること等の疫学的事実が判明したこと、浜崎裕はこれらの検査結果を総合して本件馬を伝貧の患畜であると診断したこと、昭和四五年六月二五日に当時被告農務部家畜衛生官であつた板東弘一は本件馬を診察し結膜及び鼻粘膜の色、脈性について右の検査結果と同様の所見を得たこと、本件馬から殺処分時に採取した血液を北海道日高家畜保健衛生所において検査した結果白血球一万個中二個もしくは三個弱の割合の担鉄細胞が検出されたこと、石狩家畜保健衛生所の持田勇は本件馬を殺処分後剖検し、脾臓、肝臓等の主要臓器の所見を総合して本件馬の病名を慢性伝貧であると診断したこと、帯広畜産大学教授上田晃は本件馬の殺処分後その臓器等の一部を病理組織学的に検査し、本件馬は慢性活動型伝貧(亜急性)であつたと診断したこと、以上の各事業が認められる。これらによれば、浜崎裕が責任者となつて行なつた本件馬の検査は別表第一所定の方法に従つてなされ、その検査過程にはなんらの瑕疵も認められず、また、同人が本件馬を伝貧の患畜であると診断したことも相当であり、そのことは本件馬につきその後なされた諸検査によつても裏付けられているということができる。なお、浜崎裕が証人として証言したところによれば、同人はトリパノゾーマ病及びピロプラズマ病以外には類症鑑別に意を用いなかつたことが認められるけれども、右のとおり、同人は別表第一に従つて諸検査を行ないその結果を総合して相当な結論に至つたものであるから、右のことゆえに同人の診断の相当性が阻害されるということはできない。

(四)  以上のように、別表第一の伝貧の診断方法は合理性を有し、かつ、本件馬の診断そのものも相当であつたと認められるから、請求原因第三項1の原告らの主張は理由がない。

2  請求原因第三項2(憲法七三条六号違反)について

別表第一の伝貧に関する「検査の方法」は、「判定」欄の項目のみによつて伝貧の診断をなすのではなく、「術式」欄所定の諸検査の結果を総合的に判断してその診断をなすべきことを定めたものであることは、右1(二)で述べたとおりであるが、「判定」欄の項目は、これを仔細にみると、主に「術式」欄4の特殊検査の結果についてこれを右の総合判断において斟酌する際の統一的な基準を列挙したものと理解しうる。そして、このような基準の存在により、これに関係する「術式」欄の検査は指針を得てその意義を有することになり、ひいては伝貧の診断の確実性を担保する所以ともなる。他方、本法三一条一項が伝貧の検査を義務づけているのは、患畜を発見し、防疫的措置を講ずることが目的であるから、別表第一の伝貧に関する「検査の方法」の一項目として右のような「判定」の定めがなされていることは、本法三一条一項の趣旨、目的によく合致するところである。従つて、伝貧の「判定」は本法同条項の委任した検査の方法の範囲内にあると解され(最高裁判所昭和五一年(あ)第一四五号昭和五二年九月九日第三小法廷決定参照)、この点に関する原告らの主張は理由がない。

3  請求原因第三項3(本法一四条一項違反)について

本法一四条一項が患畜又は疑似患畜の所有者に対し当該家畜の隔離を義務づけている趣旨は、他の家畜との接触を遮断することにより、病原体の散逸、感染を阻止し、もつて家畜伝染病のまん延を防止することを目的とするものであると解され、それ以上に、本法一七条一項各号の患畜あるいは疑似患畜について更にこれを診断するための観察期間としての意味をもつものであると解することはできない。これを本法一七条一項の側から検討してみても、なるほど、都道府県知事が同項各号に該当する家畜を殺すべき旨を命ずるには期限を定めることが要件とされており、その場合当該家畜は右期限内の殺されるまでの間原則として本法一四条一項により隔離されなければならないが、当該家畜が既に本法一七条の各号の患畜又は疑似患畜とされかつ殺処分の必要性ありと有効に判断されたものである以上、右隔離の期間中に更に当該家畜につき伝染病の判断をし、あるいは殺処分の必要性の有無を検討する必要のないことは論をまたない。原告らが、請求原因第三項3において伝貧の患畜につき観察期間としての隔離期間を置くべきことを主張するのは、別表第一により篩い分けテストに過ぎない担鉄細胞の検出だけで伝貧の患畜とされた馬については更にこれが真の伝貧であるか否かを観察して検討する必要がある、との原告らの所論に由来するものと考えられるが、先に1(二)で検討したとおり右所論自体理由がなく、結局、請求原因第三項3の原告らの主張は独自の見解であつて、採用することができない。

4  請求原因第三項4(殺処分の必要性の欠如)について

(一)  右における原告らの主張につき、伝貧が一般的にまん延の危険性のある病気であるか否かという問題と、本件馬の場合に具体的に伝貧のまん延防止のためにこれを殺す必要があつたか否か、また被告知事においてその判断をしたか否かという問題とに一応分けて考察する。

(二)  まず前者についてであるが、<証拠略>を総合すると、戦後の我が国ではかつてよく見られた急性の伝貧患畜の例は殆ど見られなくなつたこと、そして、これについては日本の馬の殆どが在来の伝貧ウイルスに対する抗体をもち免疫性を獲得したからであるという見解の存すること、また、昭和二七年に伝貧と診断され殺処分を命ぜられたクモワカ号が昭和三三年に再検査の結果陰性と認められたため翌三四年に先の殺処分命令を取り消されたという例があること、そして、これについても伝貧に一度罹患しても抗体をもつことにより自然に治癒することがあることの証左であるとの見方が存すること、更に、右の抗体による免疫性の獲得の見解に関連して、戦後は伝貧ウイルスを保有している馬であつてもこれから伝貧が感染するおそれは殆どないと強調する見解の存すること、そして、伝貧の患畜としてと殺された馬の肉が食肉として利用されているのは伝貧の感染力がないからにほかならないとの説明も存することがそれぞれ認められる。

しかしながら、<証拠略>を総合すると、伝貧はその予防及び治療のための有効な方法が未だ発見されていない病気であること、伝貧ウイルスはこれに対抗する抗体が現われても消失することはなく、両者の同時存在が伝貧の一つの特徴であること、このように伝貧ウイルスが消失しないため、慢性伝貧の患馬が発熱等の臨床症状を呈さず一見健康馬と変らない状態にある時期においてもこれから他に伝貧が感染する可能性が存すること、しかも伝貧の患畜においては一旦抗体ができてもなお発熱を回帰する可能性があり、発熱期には血液中のウイルスが増殖するため伝貧感染の危険性が大きくなること、伝貧の感染経路はウイルスに汚染された飼料や飲料水などの採食による経口感染とアブ等の吸血昆虫による媒介感染が主なもので、そのほか気道感染、交尾感染、胎盤感染等があり、馬の置かれた生活環境の諸要素が感染経路となりうること、従つて、伝貧の感染防止は、吸血昆虫の出入りを完全に遮断した施設内に患畜を隔離し、排泄物を完全に消毒する等の方法を講ずれば不可能ではないが、実際には極めて困難であること、以上の各事実が認められ、これによれば、伝貧の感染力は決して軽視しうる程度のものではなく、また、伝貧の患畜が一旦発生するとこれが感染源になつて伝貧がまん延する高度の危険が存することが認められる。先に認定した戦後の我が国では急性伝貧の例が殆ど見られなくなつたということは、右各証拠によれば、伝貧の防疫対策の効果として清浄化が進んだこと及び馬を農耕や馬そりなどの重労働に使役することがなくなつたため一般によい栄養状態で休息を保ち病気に対する抵抗力を持つている馬が増えたことによるものであると認められ、日本の馬の殆どが抗体をもち免疫性を獲得したという見解は<証拠略>により認められる信藤謙蔵の調査結果に照らし採用することができない。また、クモワカ号の事例は、前記1(三)で認めたとおり担鉄細胞の検出がないから伝貧でないとは断定できないのであるから、果して同馬の伝貧が真に治癒したのか否かについて疑問が残るうえ、仮に稀に伝貧が自然に治癒することがあるとしても、先に認定したとおり伝貧ウイルスが消失しない限り感染の危険性がなくなつたということはできないのであるから、同馬の例をもつて伝貧のまん延の危険性を否定する根拠とするのは失当である。更に、と殺された伝貧患畜の食肉利用の点については、右各証拠によれば、伝貧は人には感染せず、また、伝貧ウイルスを媒介する吸血昆虫は死んだ馬の肉等についてその血を吸うことが殆どないうえ、患畜のと殺はと場内の特別な部屋で行なわれ、本法及び食品衛生法上の防疫的な処置がなされたうえで食肉として利用されるのであるから、そのために伝貧が感染する危険性は殆どなく安全であるといつてよいことが認められる。従つて、食肉利用の点をとらえて、これを伝貧感染の危険性がないことの証左とする見解も失当であるといわなければならない。

(三)  次に本件馬の殺処分の必要性の有無の判断の問題について検討する。<証拠略>の中で、原告白井は、今日の日本では一旦馬が伝貧の患畜であると決定されるや、直ちにまん延防止のために必要があるとして機械的に殺処分の命令が発せられており、パターン化した処理がなされていると繰り返し強調しているところ、<証拠略>によれば、農林省畜産局は、家畜防疫対策の一項目として、昭和四四年度においては、伝貧の患畜を「可及的速やかに」殺処分する、昭和四五年度においては、「原則として二週間以内に」殺処分する、という方針を掲げ、これらを都道府県知事に対し指示していた事実が認められ、また、<証拠略>によれば、北海道日高家畜保健衛生所管内においては、昭和四一年から同四五年までの間に伝貧の患畜であると決定されたすべての馬がと殺され、しかもその大部分が右決定後三日間以内に殺命令によつてと殺された事実が認められ、これらの各事実からすると、一見、被告知事において伝貧患畜の殺処分を漫然と機械的に命じていたのではないかとの疑念が生じないでもなく、また、本件馬の場合もその例に漏れなかつたのではないかという疑念が生じないでもない。

しかしながら、前記(二)で述べたとおり、伝貧はその予防及び治療のための有効な方法が未だ発見されていない病気であり、一般的に伝貧が患畜から他に感染してまん延する高度の危険性が存することは否み難いところであるから、これらを考慮すると、農林省畜産局の前記防疫対策を不当であるとして一概に排斥することはできず、また、北海道日高家畜保健衛生所管内において前記のような処理がなされていたからといつて、個々の場合において殺処分の必要性の判断がなおざりにされていたとの結論を導き出すのも相当でない。

そこで、本件馬の場合を具体的に検討してみると、<証拠略>を総合すると次の各事実が認められる。すなわち、本件馬が飼養されていた近藤牧場は北海道日高地方の幌別川流域に位置するところ、日高地方は全国軽種馬の七〇ないし七五パーセントを産出している一大馬産地であり、幌別川流域だけでも昭和四五年六月当時一四二戸に計一、六二九頭の馬がおり、近藤牧場にもそのころ本件馬以外に一三頭の馬が飼養されていたこと、本件馬が伝貧の患畜とされた月は六月で、伝貧ウイルスを媒介するアブ等の吸血昆虫の発生する時期にあたり、しかも、幌別川流域は湿地帯が多く吸血昆虫が発生しやすい場所であること、日高地方では、二月末から六月ころまでは馬の種付、交配の時期で馬の移動が多く、また七月下旬から八月にかけては馬市や品評会が催されて馬や人が集まる時期であること、更に、近藤牧場において昭和三四年に伝貧の患畜が一頭発生したうえ、昭和四一年には本件馬が伝貧の疑似患畜になつており、また、同牧場の近辺においても昭和四〇年から同四三年にかけて毎年一、二頭の伝貧患畜が発生していたこと、そして、北海道日高家畜保健衛生所長板東弘一は、右の各事情を総合して、伝貧まん延防止のため本件馬を殺処分する必要があると判断し、本件命令を発したこと、以上の各事実が認められ、そうすると、板東弘一が本件馬について殺処分の必要性の判断をないがしろにしたとは到底認められず、また、右に認定した本件馬の置かれた地域の特徴、伝貧患畜と決定された時期、近藤牧場及びその付近の過去における伝貧の発生状況等の具体的諸事情に前記(二)で認定した伝貧の一般的病性を合わせて考慮すると、本件馬を感染源として伝貧が広範囲にまん延する危険性が存したことは十分認められるから、板東弘一が本件馬を昭和四五年六月二二日までに殺処分すべき旨を命じたことは相当であつたということができる。

なお、<証拠略>によると、原田了介獣医師が、昭和四五年七月一四日、本件馬の仔馬であるヒカルヨウコー号が伝貧に感染している疑がないこと等を理由に、本件馬が仮に伝貧であつても感染のおそれはないと診断した事実が認められるけれども、右に述べたとおり、本件馬は伝貧の患畜でその置かれた具体的状況に照らして他への感染のおそれがなかつたといえないことは明らかであり、また、前記1(三)で認めたとおり、ヒカルヨウコー号も伝貧に罹患していたのであるから、結局、原田獣医師の右診断を採用することはできない。

(四)  以上の次第であるから、本件命令が本法一七条一項に定められた「まん延を防止するため必要があるとき」の要件を欠いて違法であるとの原告らの主張は理由がない。

5  請求原因第三項5(本法六条二項違反)について

北海道事務決裁規定(昭和四一年四月一日訓令第三号)八条は、出先機関の長が別表第4に掲げる事項を専決することができると定め、これを受けて別表第4では、家畜保健衛生所の項の1本法の施行に関する事務の(1)において、「第六条第一項の規定に基づき、家畜の検査、注射、薬浴又は投薬を受けるべきことを命ずること」と規定している。本法六条一項の命令は、同条二項により一定の事項を公示して行なうこととされているのであるから、右公示の立案は家畜保健衛生所長の専決事務とされていると解され、支庁長の専決事務でないことは明らかであるから、請求原因第三項5の原告らの主張は理由がない。

6  請求原因第三項6(憲法二九条三項、一四条一項違反)について

本法五八条一項二号所定の手当金は、伝貧にかかつて殺命令を受け既に財産的価値を失つたと認められる患畜について健康馬と同程度の財産的価値に見合つた補償を講ずるという趣旨のものではなく、防疫行政を円滑に遂行するための助成金又は奨励金というべき性質のものであると解するのが相当である。従つて、その額が僅少であつても憲法二九条三項に違反することはなく、また、軽種馬であるといえども伝貧にかかつているものは特別な財産的価値を喪失しており、これを他の一般馬と手当金の額において特に区別しなくても、憲法一四条一項に違反することはない(前掲最高裁判所決定参照)。それゆえ、原告らの請求原因第三項6の主張は理由がない。

7  請求原因第三項7(本法六一条違反)について

本件命令が北海道日高家畜保健衛生所長の専決において被告知事名でなされたことは当事者間に争いがない。行政庁の事務決裁の手続方式の一つである専決は、行政庁がその権限に属する事務をなすにあたり、特定の事項について内部的な意思決定のみを補助機関に委ね外部に対する表示行為は行政庁自らの名で行なうもので、行政庁がその権限自体を他に委譲し自らは事務をなさない委任とは法的性質を異にするものであるから、法律上委任が認められていない事務であるからといつて、同事務を専決によつてなすことが当然に禁止されるというものではない。

そして、北海道事務決裁規定により本法一七条一項所定の伝貧の患畜について殺処分を命ずることが家畜保健衛生所長の専決とされていることの理由は、一般に被告知事の権限に属する事務が広汎多岐にわたり一切を自ら処理することが困難であることのほか、特に伝貧については、前記4(二)で述べた伝貧の病性からしてそのまん延を防止するために出先機関の長をして速やかに殺処分の命令を決定させることが望ましいこと、また、殺処分の必要性の判断は、伝貧の病性、当該患畜の病状、その置かれた馬産環境、付近の吸血昆虫の発生状況等の諸条件を総合して検討されるべきものであり、現地の事情に通じた所轄の家畜保健衛生所長に右の判断を委ねるのが適切であることに存すると考えられる。そうすると、伝貧の患畜の殺処分命令が家畜保健衛生所長の専決とされていることは、行政庁の意思決定の方法として適切、妥当であるというべく、従つて、本法六一条の事務の委任に関する規定の趣旨を潜脱するものとは認められない(前掲最高裁判所決定参照)。それゆえ、原告らの請求原因第三項7の主張は理由がない。

四  請求原因第四項(本件執行の違法性)について

1  同項1(憲法三五条違反)について

行政執行の方法の一つである代執行は、代替的作為義務の内容の強制的実現をはかるための強制執行手段として認められるものであるから、その実効性を確保するために、代執行の実行に際してこれに対する妨害や抵抗があつた場合に、それらを排除するにやむを得ない最少限度の実力を用いることは、代執行に随伴する機能として条理上認められると解するのが相当である。

そこで、本件執行の場合について検討するに、<証拠略>を総合すると、次の各事実が認められる。すなわち、昭和四五年七月一五日の朝、代執行責任者加藤英彦及び数名の代執行補助者が所藤牧場に到着したところ、原告らは、道路から右牧場敷地内に入る通路の入口に有棘鉄線を二段に張り、その後ろにトラツク、トレーラー、机及び椅子を並べて通路をふさぎ、更に、原告両名、原田了介獣医師及び他に一四、五名の者が有棘鉄線のところに近づいて、加藤らの進入を妨害したこと、加藤は原告らに対し障害物を除去し妨害をやめるようにと説得したが、原告らがこれに応じないため、やむなく警察官の出動を要請したこと、暫くして現場に到着した警察官らが妨害する者を排除する間に、代執行補助者らにおいて有棘鉄線を撤去し(最初は両端を外そうとしたが、原告らの妨害にあつたため、やむなくペンチで切断した)、トレーラーを移動したこと、その際原告白井がトレーラーの前で椅子に座つてその移動を妨げたため、警察官三名が原告白井を椅子ごと持ち運んで排除したこと、その後加藤らが右牧場敷地内に入り、隔離厩舎から本件馬を連れ出して輸送車に乗せ、と場である浦河町営食肉センターまで運んだことの各事実が認められ、以上の経緯に鑑みると、加藤らにおいて警察官の援助協力のもとに原告らの妨害及び抵抗を排除して近藤牧場内に立入つたことは、本件馬を殺処分の場所であると場に引到するために必要かつやむを得ないものであつたと認められ、また、その際用いられた実力も必要以上に強度に及んだとの形跡は存せず、本件執行に随伴するものとして許される範囲内のものであつたと認められる。従つて、請求原因第四項1の原告らの主張は理由がない。

2  請求原因第四項2(憲法三二条違反)について

行政代執行法は、義務を課する行政処分について当事者が訴訟で争つていても、これを代執行の実行の制約とする旨定めておらず、たとえ行政処分について争訟中であつても執行停止がなされていない限り代執行をなすことができる(行政不服審査法三四条、行政事件訴訟法二五条)。原告らは、本件命令取消の訴の提起及び執行停止の申立がなされたのに被告知事がこれを無視して本件執行に及んだのは違憲である、と主張するけれども、右の訴の提起及び執行停止の申立がなされたというだけではなんら本件執行の実行を妨げるものではないから、原告らの右主張はそれ自体失当である。

3  請求原因第四項3(行政代執行法三条二項違反)について

行政代執行法三条二項で代執行令書による通知が代執行の手続要件として定められている趣旨は、代執行の実施手続を事前に明確にしてこれを義務者に通知することにより義務者の代執行についての認識を確実ならしめ、もつて義務者を手続的に保護するとともに代執行の円滑な実施をはかることを目的とすると解され、それ以上に、既に同条一項の戒告により相当の期限を定められて義務の履行の督促を受けた義務者に対し、再度義務の履行を督促することまで目的とするものではない。そして、代執行をなすべき時期についての判断は、戒告に示された履行期限経過後は専ら行政庁の裁量に委ねられると解される。

従つて、請求原因第四項3の原告らの主張は、その前提である行政代執行法三条二項の解釈においてすでに失当であり、また、本件馬が伝貧の患畜で伝貧のまん延を防止するために殺処分の必要性が存し、その殺処分を遅滞させることは防疫対策上好ましくなかつたことは先に認定したとおりであるから、被告知事が戒告の履行期限の翌日に本件執行に及んだことをもつて、代執行をなすべき時期の裁量を不当に誤つたとは到底認めえない。

4  請求原因第四項4(殺処分の必要性の再判断の欠如)について

被告知事が昭和四五年六月二四日、原告白井から殺処分猶予の願出書を受理し、その後同年七月八日まで本件馬が近藤牧場に置かれていたことについては当事者間に争いがない。そこで被告知事が右の殺処分猶予の願出書を受理した事情及びその後の経緯について検討するに、<証拠略>を総合すると、昭和四五年六月二四日、原告白井が北海道庁を訪れて被告農務部畜産課の係官らと本件馬の殺処分について話し合つたこと、その際同係官らは、原告近藤が本件命令に応じないうえ原告白井が介入して積極的な反対運動を始めたとあつては本件馬の殺処分の実施が困難になつたと考え、さりとて本件馬をなんらの防疫措置も講じないまま放置するわけにもいかないので、やむなく、原告白井に対し、本件馬を学術試験研究に供するため当分の間殺処分を猶予して欲しい旨の願出書を提出するようにと申し入れたところ、原告白井は、当面殺処分の猶予がかなえられるのであればそのような方便も仕方がないと考えてこれに応じたものであること、その後、原告白井は本件馬の預け先として示された帯広畜産大学の研究施設を見分したが、施設が不十分でしかも研究用とはいえ結局はと殺されてしまうことを知り、同年七月八日、北海道庁に赴いて右係官らに対し、本件馬を同大学に預けるのを拒否する旨告げたこと、その際、右係官らは原告白井に対し、北海道大学を代わりの預け先として示したが、原告白井がこれにも難色を示したため、右係官らはもはや原告白井において本件馬を学術試験研究に供する意思はないものと判断し、その場で、原告白井に対し、先の願出にかかる殺処分の猶予は認められない旨被告知事名で通告をなしたこと、以上の各事実が認められ、これに照らすと、被告知事において、殺処分猶予の願出を受理したことは、本件馬の殺処分の必要性に関する判断を否定的あるいは消極的方向に変更したことを示すものではなく、また、本件馬が近藤牧場に置かれていたのは、右の猶予願出について許否の判断を下すまでの間事実上殺処分が猶予されていた結果に過ぎず、同年七月八日に右願出が認められない旨の告知がなされた段階で本件命令を直ちに履行すべき状態が復活したものであると認めることができる。そうすると、被告知事において、本件馬の殺処分の必要性を改めて判断し殺処分の期限を定めるべきであるとする理由はなんら存しないから、請求原因第四項4の原告らの主張は失当である。

5  請求原因第四項5(戒告及び代執行の相手方の誤り)について

本法一七条一項により殺処分すべき家畜についてその所有者と管理者が別個に存する場合には、本法三条の規定の文理解釈及び同規定の趣旨が家畜についての防疫上の処分はこれを事実上支配する管理者を相手とするのが適切妥当であるとするものであると解釈されることに照らすと、殺処分命令の効力が及ぶのは管理者だけであり、所有者には及ばないと解するのが相当である。そして、このことは本法五六条一項が適用される場合の殺処分の効力を受ける者の範囲についても同様と解される。

そこで、原告らが問題とする昭和四五年六月二〇日以降の本件馬の所有・管理関係について検討するに、本件馬の所有権が右同日原告近藤から原告白井に移転したことは前記一で認めたとおりである。問題は管理者であるが、<証拠略>によると、本件馬は同日以降も原告近藤が事実上の経営責任者である近藤牧場に置かれていたこと、原告白井は近藤牧場を訪れた際に本件馬を入れる厩舎の設置や運動させるための放牧場の囲いをすること等を指示したが、本件馬の日常の飼養や世話は原告近藤が担当していたことがそれぞれ認められ、これらによれば本件馬は事実上原告近藤の支配下にあつたと認められ、従つてその管理者は原告白井ではなく原告近藤であつたと解するのが相当である。してみると、本件馬の所有権が原告白井に移転された後の本件命令の効力が及ぶ相手方は、管理者たる原告近藤のみであつたと解されるから、本件執行にあたり戒告及び代執行の相手方を本件命令の履行義務者である原告近藤としたのは適法であり、請求原因第四項5の原告らの主張は理由がない。

五  結論

以上の次第であるから、本件命令及び本件執行について原告らが主張する違法の点はいずれも認めることができず、これを前提とする原告らの請求はその余の点について判断をするまでもなく理由がないことは明らかであるから、同請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 丹宗朝子 野崎弥純 飯田喜信)

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